巻次 - 755頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 て、すなわち浄土の『観無量寿経』をさずけていわく、「これこそまことの長生不死の法なり、これによりて念仏すれば、はやく生死をのがれてはかりなき命をうべし」とのたまえば、曇鸞これをうけとりて、仙経十巻をたちまちにやきすて、一向に浄土に帰したまいけり。 「天親菩薩論註解 報土因果顕誓願」というは、かの鸞師、天親菩薩の『浄土論』に『註解』というふみをつくりて、くわしく極楽の因果一々の誓願をあらわしたまえり。 「往還回向由他力 正定之因唯信心」というは、往相還相の二種の回向は、凡夫としてはさらにおこさざるものなり、ことごとく如来の他力よりおこさしめられたり。正定の因は信心をおこさしむるによれるものなりといえり。 「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」というは、一念の信おこりぬれば、いかなる惑染の機なりというとも、不可思議の法なるがゆえに、生死はすなわち涅槃なり、といえるこころなり。 「必至無量光明土 諸有衆生皆普化」というは、聖人弥陀の真土をさだめたまうとき、「仏は不可思議光なり、土はまた無量光明土なり」といえり。かの土にいたりなばまた穢土にたちかえり、あらゆる有情を化すべし、となり。 「道綽決聖道難証 唯明浄土可通入」というは、この道綽はもとは涅槃宗の覚者なり。曇鸞和尚の面授の弟子にあらず、その時代一百余歳をへだてたり。しかれども幷州玄忠寺にして曇鸞の碑の文をみて、浄土に帰したまいしゆえに、かの弟子たり。これまたついに涅槃の広業をさしおきて、ひとえに西方の行をひ 紙面画像を印刷 前のページ p755 次のページ 第二版p913・914へ このページの先頭に戻る