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へだてずみちびきたまうを、大海のみずのへだてなきにたとえたり。この功徳の宝海に帰入すれば、かならず大会の数にいるべきにさだまるとなり、といえり。
 「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」というは、華蔵世界というは、安養世界のことなり。かの土にいたりなば、すみやかに真如法性の身をうべきものなり、といえる心なり。
 「遊煩悩林現神通 入生死園示応化」というは、これは還相回向のこころなり、弥陀の浄土にいたりなば、娑婆世界にもまたたちかえり、神通自在をもってこころにまかせて、衆生をも利益せしむべしといえる心なり。
 「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼」というは、曇鸞大師はもとは四論宗のひとなり。四論というは、三論に『智論』をくわうるなり。三論というは、一つには『中論』、二つには『百論』、三つには『十二門論』なり。和尚はこの四論に通達しましましけり。これによりて梁国の天子蕭王は御信仰ありて、おわせしかたにつねにむかいて、曇鸞菩薩とぞ礼しましましけり。
 「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」というは、かの曇鸞大師、はじめは四論宗にておわせしが、仏法のそこをならいきわめたりというとも、いのちみじかくは、ひとをたすくることいくばくならんとて、陶隠居というひとにおうて、まず長生不死の法をならいぬ。すでに三年のあいだ仙人のところにしてならいえてかえりたまうに、そのみちにて菩提流支ともうす三蔵にゆきあいてのたまわく、「仏法のなかに長生不死の法は、この仙経にすぐれたる法やある」とといたまえば、三蔵、地につばきをはきていわく、「この方にはいずくのところにか長生不死の法あらん、たとい長年をえてしばらく死せずとも、ついに三有に輪回すべし」といい