巻次 - 759頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 天竺震旦我朝の菩薩祖師達のことなり。かの人師等、未来の極濁悪のわれらをあわれみすくいたまわんとて、出生したまえり。しかれば念仏の道俗等あまねくかの三国の高祖の説を信じたてまつるとなり。さればわれらが真実の報土の往生をおしえたまうこと、しかしながらこの祖師等の御恩にあらずということなし。よくよくその恩徳を報謝したてまつるべきものなり。奥書、 右この『正信偈大意』は、金森の道西、自身才学にそなえんがために、蓮々そののぞみこれありといえども、予いささかその料簡なき間、かたく酙酌をくわうるところしきりに所望のむねさりがたきによりて、文言のいやしきをかえりみず、また義理の次第をもいわず、ただ願主の命にまかせて、ことばをやわらげ、これをしるしあたう。その所望あるあいだ、かくのごとくこれをしるすところなり。あえて外見あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。于時長禄四歳六月日元禄三 庚午 年孟夏吉辰 紙面画像を印刷 前のページ p759 次のページ 第二版p918・919へ このページの先頭に戻る