巻次 第一帖 765頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 答えていわく、「この不審また肝要とこそおぼえそうらえ。そのゆえは、一念の信心発得已後の念仏をば、自身往生の業とはおもうべからず。ただひとえに仏恩報謝のためとこころえらるべきものなり。されば、善導和尚の「上尽一形下至一念」(散善義意)と釈せり。「下至一念」というは、信心決定のすがたなり。「上尽一形」は、仏恩報尽の念仏なりときこえたり。これをもって、よくよくこころえらるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。文明四年十一月二十七日5 そもそも、当年より、ことのほか、加州・能登・越中、両三か国のあいだより、道俗男女、群集をなして、この吉崎の山中に参詣せらるる面々の心中のとおり、いかがとこころもとなくそうろう。そのゆえは、まず当流のおもむきは、このたび極楽に往生すべきことわりは、他力の信心をえたるがゆえなり。しかれども、この一流のうちにおいて、しかしかとその信心のすがたをも、えたるひとこれなし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をばたやすくとぐべきや。一大事というはこれなり。さいわいに五里十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに参詣のこころざしは、いかようにこころえられたる心中ぞや。千万こころもとなき次第なり。所詮已前はいかようの心中にてありというとも、これよりのちは心中にこころえおかるべき次第を、くわしくもうすべし。よくよく耳をそばだてて聴聞あるべし。そのゆえは、他力の信心ということを、しかと心中にたくわえられ候いて、そのうえには、仏恩報謝のためには、行住座臥に念仏をもうさるべきばかりなり。このこころえにてあるならば、このたびの往生は一定なり。このうれしさのあまりには、師匠坊主の在所へもあゆ 紙面画像を印刷 前のページ p765 次のページ 第二版p926・927へ このページの先頭に戻る