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第一帖
769頁
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しかれば、見聞の諸人、偏執をなすことなかれ。あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月 日

9 そもそも、当宗を、昔よりひとこぞりておかしくきたなき宗ともうすなり。これまことに道理のさすところなり。そのゆえは、当流人数のなかにおいて、あるいは他門他宗に対してはばかりなく、わが家の義をもうしあらわせるいわれなり。これおおきなるあやまりなり。それ、当流のおきてをまもるというは、わが流につたうるところの義をしかと内心にたくわえて、外相にそのいろをあらわさぬを、よくものにこころえたるひととはいうなり。しかるに、当世は、わが宗のことを、他門他宗にむかいて、その斟酌もなく聊爾に沙汰するによりて、当流をひとのあさまにおもうなり。かようにこころえのわろきひとのあるによりて、当流をきたなくいまわしき宗とひとおもえり。さらにもってこれは他人わろきにはあらず。自流のひとわろきによるなりとこころうべし。つぎに、物忌ということは、わが流には仏法についてものいまわぬといえることなり。他宗にも公方にも対しては、などか物をいまざらんや。他宗他門にむかいては、もとよりいむべきこと勿論なり。また、よそのひとの物いむといいてそしることあるべからず。しかりといえども、仏法を修行せんひとは、念仏者にかぎらず、物さのみいむべからずと、あきらかに諸経の文にもあまたみえたり。まず、『涅槃経』にのたまわく、「如来法中 無有選択 吉日良辰」といえり。この文のこころは、如来の法のなかに吉日良辰をえらぶことなしとなり。また『般舟経』にのたまわく、「優婆夷、聞是三昧 欲学者、乃至 自帰命仏 帰命法 帰命比丘僧 不得事余道、不得拝於天、不得祠鬼神、不得視吉良日、已上」とい