巻次
第一帖
930頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

文明五年八月十二日

(八) 文明第三、初夏上旬のころより、江州志賀の郡大津三井寺の南別所辺より、なにとなく、不図しのびいでて、越前・加賀、諸所を経回せしめおわりぬ。よって、当国細呂宜の郷の内、吉崎というこの在所、すぐれておもしろきあいだ、年来虎狼のすみなれしこの山中をひきたいらげて、七月二十七日より、かたのごとく一宇を建立して、昨日今日とすぎゆくほどに、はや三年の春秋はおくりけり。さるほどに、道俗男女、群集せしむといえども、さらになにへんともなき体なるあいだ、当年より諸人の出入をとどむるこころは、この在所に居住せしむる根元はなにごとぞなれば、そもそも人界の生をうけて、あいがたき仏法にすでにあえる身が、いたずらにむなしく捺落にしずまんは、まことにもってあさましきことにはあらずや。しかるあいだ、念仏の信心を決定して極楽の往生をとげんとおもわざらんひとびとは、なにしにこの在所へ来集せんこと、かなうべからざるよしの成敗をくわえおわりぬ。これひとえに、名聞利養を本とせず、ただ後生菩提をこととするがゆえなり。しかれば、見聞の諸人、偏執をなすことなかれ。あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月 日

(九) 抑も、当宗を、昔よりひとこぞりておかしくきたなき宗ともうすなり。これまことに道理のさすところなり。そのゆえは、当流人数のなかにおいて、あるいは他門他宗に対してはばかりなく、わが家の義をもうしあらわせるいわれなり。これおおきなるあやまりなり。それ、当流のおき