巻次
第一帖
771頁
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四十八願をおこしたまえり。そのうち第十八の願において、一切の悪人・女人をたすけたまえるうえに、なお女人はつみふかくうたがいのこころふかきによりて、またかさねて第三十五の願になお女人をたすけんといえる願をおこしたまえるなり。かかる弥陀如来の御苦労ありつる御恩のかたじけなさよと、ふかくおもうべきなり。」
 問うていわく、「さて、かように弥陀如来の、われらごときのものをすくわんと、たびたび願をおこしたまえることのありがたさを、こころえわけまいらせそうらいぬるについて、なにとように機をもちて、弥陀をたのみまいらせそうらわんずるやらん、くわしくしめしたまうべきなり。」
 こたえていわく、「信心をとり弥陀をたのまんとおもいたまわば、まず人間はただゆめまぼろしのあいだのことなり、後生こそまことに永生の楽果なりと、おもいとりて、人間は五十年百年のうちのたのしみなり、後生こそ一大事なりとおもいて、もろもろの雑行をこのむこころをすて、あるいはまた、もののいまわしくおもうこころをもすて、一心一向に弥陀をたのみたてまつりて、そのほか余の仏菩薩諸神等にもこころをかけずして、ただひとすじに弥陀に帰して、このたびの往生は治定なるべしとおもわば、そのありがたさのあまり、念仏をもうして、弥陀如来のわれらをたすけたまう御恩を報じたてまつるべきなり。これを信心をえたる多屋の坊主達の内方のすがたとはもうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月十一日

11 それおもんみれば、人間はただ電光朝露の、ゆめまぼろしのあいだのたのしみぞかし。たといまた栄花栄