巻次
第二帖
789頁
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名念仏ばかりをとなえて、かの弥陀如来の御恩を報じたてまつるべきものなり。このこころ、すなわち当流にたつるところの、一念発起平生業成といえる義、これなりとこころうべし。さればかように弥陀を一心にたのみたてまつるも、なにの劬労もいらず。また信心をとるというもやすければ、仏になり極楽に往生することもなおやすし。あら、とうとの弥陀の本願や。あら、とうとの他力の信心や。さらに往生においてそのうたがいなし。しかるにこのうえにおいて、なお身のふるまいについて、このむねをよくこころうべきみちあり。それ、一切の神も仏ともうすも、いまこのうるところの他力の信心ひとつをとらしめんがための方便に、もろもろの神、もろもろのほとけとあらわれたまういわれなればなり。しかれば一切の仏菩薩も、もとより弥陀如来の分身なれば、みなことごとく、一念南無阿弥陀仏と帰命したてまつるうちに、みなこもれるがゆえに、おろかにおもうべからざるものなり。またこのほかになおこころうべきむねあり。それ、国にあらば守護方、ところにあらば地頭方において、われは仏法をあがめ信心をえたる身なりといいて、疎略の義、ゆめゆめあるべからず。いよいよ公事をもっぱらにすべきものなり。かくのごとくこころえたるひとをさして、信心発得して後生をねがう念仏行者のふるまいの本とぞいうべし。これすなわち仏法・王法をむねとまもれるひととなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明六年五月十三日書之

11 それ、当流親鸞聖人の勧化のおもむき、近年諸国において種々不同なり。これおおきにあさましき次第なり。そのゆえは、まず当流には他力の信心をもって凡夫の往生をさきとせられたるところに、その信心のかた