巻次
第二帖
791頁
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く月日をおくりて、さらにわが身の一心をも決定する分もしかしかともなく、また一巻の聖教をまなこにあててみることもなく、一句の法門をいいて門徒を勧化する儀もなし。ただ朝夕は、ひまをねらいて、まくらをともとしてねぶりふせらんこと、まことにもってあさましき次第にあらずや。しずかに思案をめぐらすべきものなり。このゆえに、今日今時よりして、不法懈怠にあらんひとびとは、いよいよ信心決定して、真実報土の往生をとげんとおもわんひとこそ、まことにその身の徳ともなるべし。これまた自行化他の道理にかなえりとおもうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

于時文明第六 六月中の二日、あまりの炎天のあつさに、これを筆にまかせてかきしるしおわりぬ。

13 それ当流にさだむるところのおきてをよくまもるというは、他宗にも世間にも対しては、わが一宗のすがたを、あらわにひとの目にみえぬようにふるまえるをもって本意とするなり。しかるに、ちかごろは、当流念仏者のなかにおいて、わざとひと目にみえて一流のすがたをあらわして、これをもってわが宗の名望のようにおもいて、ことに他宗をこなしおとしめんとおもえり。これ言語道断の次第なり。さらに聖人のさだめましましたる御意に、ふかくあいそむけり。そのゆえは、すでに牛をぬすみたるひととはいわるとも、当流のすがたをみゆべからずとこそおおせられたり。この御ことばをもってよくよくこころうべし。つぎに当流の安心のおもむきをくわしくしらんとおもわんひとは、あながちに智慧才学もいらず、男女貴賤もいらず、ただわが身はつみふかきあさましきものなりとおもいとりて、かかる機までもたすけたまえるほとけは、阿弥陀如来ばかりなりとしりて、なにのようもなく、ひとすじに、この阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおも