巻次 第三帖 809頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 四つには、守護・地頭においては、かぎりある年貢所当をねんごろに沙汰し、そのほか仁義をもって本とすべし。 五つには、国の仏法の次第、当流の正義にあらざるあいだ、かつは邪見にみえたり。所詮自今已後においては、当流真実の正義をききて、日ごろの悪心をひるがえして、善心におもむくべきものなり。 六つには、当流真実の念仏者というは、開山のさだめおきたまえる正義をよく存知して、造悪不善の身ながら極楽の往生をとぐるをもって、宗の本意とすべし。それ、一流の安心の正義のおもむきというは、なにのようもなく、阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、われはあさましき悪業煩悩の身なれども、かかるいたずらものを本とたすけたまえる、弥陀願力の強縁なりと、不可思議におもいたてまつりて、一念も疑心なく、おもうこころだにも堅固なれば、かならず弥陀は無碍の光明をはなちて、その身を摂取したまうなり。かように信心決定したらんひとは、十人は十人ながら、みなことごとく報土に往生すべし。このこころすなわち他力の信心を決定したるひとなりというべし。このうえになおこころうべきようは、まことにありがたき阿弥陀如来の広大の御恩なりとおもいて、その仏恩報謝のためには、ねてもおきても、ただ南無阿弥陀仏とばかりとなうべきなり。さればこのほかには、また後生のためとては、なにの不足ありてか、相伝もなき、しらぬえせ法門をいいて、ひとをもまどわし、あまっさえ法流をもけがさんこと、まことにあさましき次第にあらずや。よくよくおもいはからうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。文明七年七月十五日 紙面画像を印刷 前のページ p809 次のページ 第二版p974・975へ このページの先頭に戻る