巻次
第三帖
810頁
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11 そもそも今月二十八日は、開山聖人御正忌として、毎年不闕に、かの知恩報徳の御仏事においては、あらゆる国郡、そのほかいかなる卑劣のともがらまでも、その御恩をしらざるものは、まことに木石にことならんものか。これについて、愚老この四五か年のあいだは、なにとなく北陸の山海のかたほとりに居住すといえども、はからざるに、いまに存命せしめ、この当国にこえ、はじめて今年聖人御正忌の報恩講にあいたてまつる条、まことにもって不可思議の宿縁、よろこびてもなおよろこぶべきものか。しかれば自国・他国より来集の諸人において、まず開山聖人のさだめおかれし御掟のむねを、よく存知すべし。その御ことばにいわく、「たとい牛盗人とはよばるとも、仏法者後世者とみゆるようにふるまうべからず。またほかには仁義礼智信をまもりて王法をもってさきとし、内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」よしを、ねんごろにおおせさだめおかれしところに、近代このごろのひとの、仏法しりがおの体たらくをみおよぶに、外相には仏法を信ずるよしをひとにみえて、内心にはさらにもって当流安心の一途を決定せしめたる分なくして、あまっさえ相伝もせざる聖教を、わが身の字ぢからをもって、これをよみて、しらぬえせ法門をいいて、自他の門徒中を経回して、虚言をかまえ、結句本寺よりの成敗と号して、人をたぶろかし、物をとりて当流の一義をけがす条、真実真実、あさましき次第にあらずや。これによりて、今月、二十八日の御正忌、七日の報恩講中において、わろき心中のとおりを改悔懴悔して、おのおの正義におもむかずは、たといこの七日の報恩講中において、足手をはこび、ひとまねばかりに報恩謝徳のためと号すとも、さらにもってなにの所詮もあるべからざるものなり。されば、弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうえにおいてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんど