巻次 第四帖 819頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 のことのはを筆にまかせてかきしるしおわりぬ。のちにみん人、そしりをなさざれ。これまことに讃仏乗の縁、転法輪の因ともなりはんべりぬべし。あいかまえて偏執をなすことゆめゆめなかれ。あなかしこ、あなかしこ。于時文明年中 丁酉 暮冬中旬之比、於爐辺 暫時書記之者也 云々 右この書は、当所はりの木原辺より、九間在家へ、仏照寺、所用ありて出行のとき、路次にてこの書をひろいて、当坊へもちきたれり。文明九年十二月二日5 それ、中古已来、当時にいたるまでも、当流の勧化をいたすその人数のなかにおいて、さらに宿善の有無ということをしらずして勧化をなすなり。所詮自今已後においては、このいわれを存知せしめて、たとい聖教をもよみ、また暫時に法門をいわんときも、このこころを覚悟して一流の法義をば讃嘆し、あるいはまた仏法聴聞のためにとて、人数おおくあつまりたらんときも、この人数のなかにおいて、もし無宿善の機やあるらんとおもいて、一流真実の法義を沙汰すべからざるところに、近代人々の勧化する体たらくをみおよぶに、この覚悟はなく、ただいずれの機なりとも、よく勧化せば、などか当流の安心にもとづかざらんようにおもいはんべりき。これあやまりとしるべし。かくのごときの次第をねんごろに存知して、当流の勧化をばいたすべきものなり。中古このごろにいたるまで、さらにそのこころをえて、うつくしく勧化する人なし。これらのおもむきをよくよく覚悟して、かたのごとくの勧化をばいたすべきものなり。そもそも、今月二十八日は、毎年の儀として、懈怠なく、開山聖人の報恩謝徳のために、念仏勤行をいたさんと擬する人数これおおし。まことにも 紙面画像を印刷 前のページ p819 次のページ 第二版p985・986へ このページの先頭に戻る