巻次
第四帖
820頁
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って、「ながれをくんで本源をたずぬる」(式文)道理を存知せるがゆえなり。ひとえにこれ聖人の勧化のあまねきがいたすところなり。しかるあいだ、近年ことのほか当流に讃嘆せざるひが法門をたてて、諸人をまどわしめて、あるいはそのところの地頭・領主にもとがめられ、わが身も悪見に住して、当流の真実なる安心のかたも、ただしからざるようにみおよべり。あさましき次第にあらずや。かなしむべし、おそるべし。所詮、今月報恩講七昼夜のうちにおいて、各々に改悔の心をおこして、わが身のあやまれるところの心中を、心底にのこさずして、当寺の御影前において、回心懴悔して、諸人の耳にこれをきかしむるように、毎日毎夜にかたるべし。これすなわち「謗法闡提回心皆往」(法事讃)の御釈にもあいかない、また、「自信教人信」(往生礼讃)の義にも相応すべきものなり。しからば、まことにこころあらん人々は、この回心懴悔をききても、げにもとおもいて、おなじく日ごろの悪心をひるがえして、善心になりかえる人もあるべし。これぞまことに今月聖人の御忌の本懐にあいかなうべし。これすなわち報恩謝徳の懇志たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明十四年十一月二十一日

6 そもそも当月の報恩講は、開山聖人の御遷化の正忌として、例年の旧儀とす。これによりて、遠国近国の門徒のたぐい、この時節にあいあたりて、参詣のこころざしをはこび、報謝のまことをいたさんと欲す。しかるあいだ、毎年七昼夜のあいだにおいて、念仏勤行をこらしはげます。これすなわち、真実信心の行者、繁昌せしむるゆえなり。まことにもって念仏得堅固の時節到来といいつべきものか。このゆえに一七か日のあいだにおいて、参詣をいたすともがらのなかにおいて、まことに人まねばかりに御影前へ出仕をいたすやからこ