巻次
第四帖
986頁
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人数のなかにおいて、もし無宿善の機やあるらんとおもいて、一流真実の法義を沙汰すべからざるところに、近代人々の勧化する体たらくをみおよぶに、この覚悟はなく、ただいずれの機なりとも、よく勧化せば、などか当流の安心にもとづかざらんようにおもいはんべりき。これあやまりとしるべし。かくのごときの次第をねんごろに存知して、当流の勧化をばいたすべきものなり。中古このごろにいたるまで、さらにそのこころをえて、うつくしく勧化する人なし。これらのおもむきをよくよく覚悟して、かたのごとくの勧化をばいたすべきものなり。
 そもそも、今月二十八日は、毎年の儀として、懈怠なく、開山聖人の報恩謝徳のために、念仏勤行をいたさんと擬する人数これおおし。まことにもって、「ながれをくんで本源をたずぬる」(式文)道理を存知せるがゆえなり。ひとえにこれ、聖人の勧化のあまねきがいたすところなり。しかるあいだ、近年ことのほか当流に讃嘆せざるひが法門をたてて、諸人をまどわしめて、あるいはそのところの地頭・領主にもとがめられ、わが身も悪見に住して、当流の真実なる安心のかたも、ただしからざるようにみおよべり。あさましき次第にあらずや。かなしむべし、おそるべし。所詮、今月報恩講七昼夜のうちにおいて、各々に改悔の心をおこして、わが身のあやまれるところの心中を心底にのこさずして、当寺の御影前において、回心懺悔して、諸人の耳にこれをきかしむるように、毎日毎夜にかたるべし。これすなわち「謗法闡提回心皆往」(法事讃)の御釈にもあいかない、また、「自信教人信」(往生礼讃)の義にも相応すべきものなり。しからば、まことにこころあらん人々は、