巻次
第四帖
987頁
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この回心懺悔をききても、げにもとおもいて、おなじく日ごろの悪心をひるがえして、善心になりかえる人もあるべし。これぞまことに今月聖人の御忌の本懐にあいかなうべし。これすなわち報恩謝徳の懇志たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明十四年十一月二十一日

(六) 抑も、当月の報恩講は、開山聖人の御遷化の正忌として、例年の旧儀とす。これによりて、遠国・近国の門徒のたぐい、この時節にあいあたりて、参詣のこころざしをはこび、報謝のまことをいたさんと欲す。しかるあいだ、毎年七昼夜のあいだにおいて、念仏勤行をこらしはげます。これすなわち、真実信心の行者、繁昌せしむるゆえなり。まことにもって念仏得堅固の時節到来といいつべきものか。このゆえに一七か日のあいだにおいて、参詣をいたすともがらのなかにおいて、まことに人まねばかりに御影前へ出仕をいたすやから、これあるべし。かの仁体において、はやく御影前にひざまずいて、回心懺悔のこころをおこして、本願の正意に帰入して、一念発起の真実信心をもうくべきものなり。それ、南無阿弥陀仏というは、すなわちこれ念仏行者の安心の体なりとおもうべし。そのゆえは、南無というは帰命なり。「即是帰命」というは、われらごときの無善造悪の凡夫のうえにおいて、阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなりとしるべし。そのたのむこころというは、すなわちこれ、阿弥陀仏の、衆生を八万四千の大光明のなかに摂取して、往還二種の回向を衆生にあたえましますこころなり。されば信心というも別のこころにあらず。みな南無阿弥陀仏のう