巻次
第四帖
985頁
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ころをよみはんべりしなり。されば、他力の信心発得せしむるうえなれば、せめては、かようにくちずさみても、仏恩報尽のつとめにもやなりぬべきともおもい、またきくひとも宿縁あらば、などやおなじこころにならざらんとおもいはんべりしなり。しかるに、予すでに七旬のよわいにおよび、ことに愚闇無才の身として、片腹いたくもかくのごとく、しらぬえせ法門をもうすこと、かつは斟酌をもかえりみず、ただ本願の一すじの、とうとさばかりのあまり、卑劣のこのことのはを筆にまかせてかきしるしおわりぬ。のちにみん人、そしりをなさざれ。これまことに讃仏乗の縁、転法輪の因ともなりはんべりぬべし。あいかまえて、偏執をなすこと、ゆめゆめなかれ。あなかしこ、あなかしこ。

時に文明年中 丁酉 暮冬中旬の比、炉辺に於いて暫時に之を書き記す者なり云々

右、この書は、当所はりの木原辺より九間在家へ、仏照寺、所用ありて出行のとき、路次にてこの書をひろいて、当坊へもちきたれり。

文明九年十二月二日

(五) 夫れ、中古已来、当時にいたるまでも、当流の勧化をいたすその人数のなかにおいて、さらに宿善の有無ということをしらずして勧化をなすなり。所詮自今已後においては、このいわれを存知せしめて、たとい聖教をもよみ、また暫時に法門をいわんときも、このこころを覚悟して一流の法義をば讃嘆し、あるいはまた仏法聴聞のためにとて、人数おおくあつまりたらんときも、この