巻次
第四帖
984頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

われずして、わが身ありがおの体を、つらつら案ずるに、ただゆめのごとし、まぼろしのごとし。いまにおいては、生死出離の一道ならでは、ねがうべきかたとてはひとつもなく、またふたつもなし。これによりて、ここに未来悪世のわれらごときの衆生を、たやすくたすけたまう阿弥陀如来の本願のましますときけば、まことにたのもしく、ありがたくもおもいはんべるなり。この本願を、ただ一念無疑に、至心帰命したてまつれば、わずらいもなく、そのとき臨終せば往生治定すべし。もしそのいのちのびなば、一期のあいだは仏恩報謝のために念仏して、畢命を期とすべし。これすなわち平生業成のこころなるべしと、たしかに聴聞せしむるあいだ、その決定の信心のとおり、いまに耳のそこに退転せしむることなし。ありがたしというも、なおおろかなるものなり。されば、弥陀如来他力本願のとうとさ、ありがたさのあまり、かくのごとくくちにうかむにまかせて、このこころを詠歌にいわく、

ひとたびも ほとけをたのむ こころこそ まことののりに かなうみちなれ
つみふかく 如来をたのむ 身になれば のりのちからに 西へこそゆけ
法をきく みちにこころの さだまれば 南無阿弥陀仏と となえこそすれ

と、わが身ながらも本願の一法の殊勝なるあまり、かくもうしはんべりぬ。この三首の歌のこころは、はじめは、一念帰命の信心決定のすがたをよみはんべりぬ。のちの歌は、入正定聚の益、必至滅度のこころをよみはんべりぬ。つぎのこころは、慶喜金剛の信心のうえには、知恩報徳のこ