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第四帖
829頁
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なり。いかにも不信の面々は、一段の不審をもたてて、信心の有無を沙汰すべきところに、なにの所詮もなく退散せしむる条、しかるべからずおぼえはんべり。よくよく思案をめぐらすべきことなり。所詮自今已後においては、不信の面々は、あいたがいに信心の讃嘆あるべきこと肝要なり。
 それ当流の安心のおもむきというは、あながちにわが身の罪障のふかきによらず、ただもろもろの雑行のこころをやめて、一心に阿弥陀如来に帰命して、今度の一大事の後生たすけたまえと、ふかくたのまん衆生をば、ことごとくたすけたまうべきこと、さらにうたがいあるべからず。かくのごとくよくこころえたる人は、まことに百即百生なるべきなり。このうえには、毎月の寄合をいたしても、報恩謝徳のためとこころえなば、これこそ真実の信心を具足せしめたる行者ともなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

明応七年二月二十五日書之

毎月両度講衆中へ

八十四歳

13 それ秋さり春さり、すでに当年は明応第七、孟夏仲旬ごろになりぬれば、予が年齢つもりて八十四歳ぞかし。しかるに当年にかぎりて、ことのほか病気におかさるるあいだ、耳目・手足・身体こころやすからざるあいだ、これしかしながら業病のいたりなり。または往生極楽の先相なりと覚悟せしむるところなり。これによりて法然聖人の御詞にいわく「浄土をねがう行人は、病患をえて、ひとえにこれをたのしむ」(伝通記糅鈔)とこそおおせられたり。しかれども、あながちに病患をよろこぶこころ、さらにもって、おこらず。あさまし