巻次
第四帖
830頁
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き身なり。はずべし、かなしむべきものか。さりながら予が安心の一途、一念発起平生業成の宗旨においては、いま一定のあいだ、仏恩報尽の称名は、行住座臥にわすれざること間断なし。これについて、ここに愚老一身の述懐これあり。そのいわれは、われら居住の在所在所の、門下のともがらにおいては、おおよそ心中をみおよぶに、とりつめて信心決定のすがたこれなしとおもいはんべり。おおきになげきおもうところなり。そのゆえは、愚老すでに八旬のよわいすぐるまで存命せしむるしるしには、信心決定の行者繁昌ありてこそ、いのちながきしるしともおもいはんべるべきに、さらにしかしかとも決定せしむるすがたこれなしとみおよべり。そのいわれをいかんというに、そもそも、人間界の老少不定のことをおもうにつけても、いかなるやまいをうけてか死せんや。かかる世のなかの風情なれば、いかにも一日も片時も、いそぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定して、そののち、人間のありさまにまかせて世をすごすべきこと肝要なりと、みなみなこころうべし。このおもむきを心中におもいいれて、一念に弥陀をたのむこころを、ふかくおこすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

明応七年初夏仲旬第一日八十四歳老納書之

弥陀の名を ききうることの あるならば 南無阿弥陀仏と たのめみなひと

14 一流安心の体という事。
 南無阿弥陀仏の六字のすがたなりとしるべし。この六字を善導大師釈していわく、「言南無者 即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者 即是其行 以斯義故 必得往生」(玄義分)といえり。まず「南無」という