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第四帖 | 第五帖
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んときは、すみやかにこの在所において、執心のこころをやめて退出すべきものなり。これによりていよいよ貴賤道俗をえらばず、金剛堅固の信心を決定せしめんこと、まことに弥陀如来の本願にあいかない、別しては聖人の御本意にたりぬべきものか。それについて、愚老すでに当年は八十四歳まで存命せしむる条、不思議なり。まことに当流法義にもあいかなうかのあいだ、本望のいたりこれにすぐべからざるものか。しかれば愚老、当年の夏ごろより違例せしめて、いまにおいて本腹のすがたこれなし。ついには当年寒中には、かならず往生の本懐をとぐべき条、一定とおもいはんべり。あわれ、あわれ、存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと、朝夕おもいはんべり。まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころしばらくもやむことなし。またはこの在所に三年の居住をふる、その甲斐ともおもうべし。あいかまえて、あいかまえて、この一七か日の報恩講のうちにおいて、信心決定ありて、我人一同に、往生極楽の本意をとげたまうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

明応七年十一月二十一日よりはじめて、これをよみて人々に信をとらすべきものなり。


第五帖


1 末代無智の、在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に、仏たすけたまえともうさん衆生をば、たとい罪業は深