巻次 第五帖 833頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。これすなわち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。かくのごとく決定してのうえには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。2 それ、八万の法蔵をしるというとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとい一文不知の尼入道なりというとも、後世をしるを智者とすといえり。しかれば、当流のこころは、あながちに、もろもろの聖教をよみ、ものをしりたりというとも、一念の信心のいわれをしらざる人は、いたずら事なりとしるべし。されば聖人の御ことばにも、「一切の男女たらん身は、弥陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるという事あるべからず」とおおせられたり。このゆえに、いかなる女人なりというとも、もろもろの雑行をすてて、一念に、弥陀如来今度の後生たすけたまえと、ふかくたのみ申さん人は、十人も百人も、みなともに弥陀の報土に往生すべき事、さらさらうたがいあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。3 それ、在家の尼女房たらん身は、なにのようもなく、一心一向に阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、後生たすけたまえともうさんひとをば、みなみな御たすけあるべしとおもいとりて、さらにうたがいのこころ、ゆめゆめあるべからず。これすなわち弥陀如来の御ちかいの他力本願とはもうすなり。このうえには、なお後生のたすからんことの、うれしさありがたさをおもわば、ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、となうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。4 そもそも、男子も女人も、罪のふかからん輩は、諸仏の悲願をたのみても、いまの時分は末代悪世なれ 紙面画像を印刷 前のページ p833 次のページ 第二版p1000・1001へ このページの先頭に戻る