巻次
第五帖
837頁
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すけたまうべし。このおもむきを、うたがいなく信ぜん輩は、真実の弥陀の浄土に往生すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
9 当流の安心の一義というは、ただ「南無阿弥陀仏」の六字のこころなり。たとえば南無と帰命すれば、やがて阿弥陀仏のたすけたまえるこころなるがゆえに、「南無」の二字は帰命のこころなり。帰命というは、衆生の、もろもろの雑行をすてて、阿弥陀仏後生たすけたまえと、一向にたのみたてまつるこころなるべし。このゆえに、衆生をもらさず弥陀如来のよくしろしめして、たすけましますこころなり。これによりて、南無とたのむ衆生を、阿弥陀仏のたすけまします道理なるがゆえに、「南無阿弥陀仏」の六字のすがたは、すなわちわれら一切衆生の、平等にたすかりつるすがたなりとしらるるなり。されば他力の信心をうるというも、これ、しかしながら、「南無阿弥陀仏」の六字のこころなり。このゆえに一切の聖教というも、ただ「南無阿弥陀仏」の六字を、信ぜしめんがためなりというこころなりと、おもうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
10 聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候う。そのゆえは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまう。そのくらいを「一念発起入正定之聚」(論註意)とも釈し、そのうえの称名念仏は、如来わが往生をさだめたまいし、御恩報尽の念仏と、こころうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
11 そもそもこの御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもいて、聖人の