巻次
第五帖
1005頁
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阿弥陀仏の、我等をたすけたまえるこころなり。このゆえに南無の二字は、衆生の、弥陀如来にむかいたてまつりて、後生たすけたまえともうすこころなるべし。かように弥陀をたのむ人を、もらさずすくいたまうこころこそ、阿弥陀仏の四字のこころにてありけりとおもうべきものなり。これによりて、いかなる十悪五逆・五障三従の女人なりとも、もろもろの雑行をすてて、ひたすら後生たすけたまえとたのまん人をば、たとえば十人もあれ百人もあれ、みなことごとくもらさずたすけたまうべし。このおもむきを、うたがいなく信ぜん輩は、真実の弥陀の浄土に往生すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(九) 当流の安心の一義というは、ただ南無阿弥陀仏の六字のこころなり。たとえば南無と帰命すれば、やがて阿弥陀仏のたすけたまえるこころなるがゆえに、南無の二字は帰命のこころなり。帰命というは、衆生の、もろもろの雑行をすてて、阿弥陀仏、後生たすけたまえと一向にたのみたてまつるこころなるべし。このゆえに、衆生をもらさず弥陀如来の、よくしろしめして、たすけましますこころなり。これによりて、南無とたのむ衆生を、阿弥陀仏のたすけまします道理なるがゆえに、南無阿弥陀仏の六字のすがたは、すなわちわれら一切衆生の、平等にたすかりつるすがたなりとしらるるなり。されば他力の信心をうるというも、これしかしながら、南無阿弥陀仏の六字のこころなり。このゆえに一切の聖教というも、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなりというこころなりとおもうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。