巻次 - 847頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 などか往生をとげざらんなんどおもわんは、かなしかるべきことなり。ひしと、われらが往生成就せしすがたを、南無阿弥陀仏とはいいけるという信心おこりぬれば、仏体すなわちわれらが往生の行なるがゆえに、一声のところに往生を決定するなり」(同)。このこころは、安心をとりてのうえのことどもにて侍るなりとこころえらるべきことなりと、おもうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。明応七年五月下旬2 そもそも、今日、御影前へ御まいり候う面々は、聖教をよみ候うを御聴聞のためにてぞ御入り候うらん。されば、いずれの所にても聖教を聴聞せられ候うときも、その義理をききわけらるる分も更に候わで、ただ人目計のように、みなみなあつまられ候うことは、なにの篇目もなきようにおぼえ候う。それ、聖教をよみ候うことも、他力の信心をとらしめんがためにこそ、よみ候うことにて候うに、更にその謂われをききわけ候いて、わが信のあさきをもなおされ候わんことこそ、仏法の本意にてはあるべきに、毎日に聖教があるとては、しるもしらぬも、よられ候うことは、所詮もなきことにて候う。今日よりしては、あいかまえて、その謂われをききわけられ候いて、もとの信心のわろきことをも人にたずねられ候いて、なおされ候わでは、かなうべからず候う。その分をよくよくこころえられ候いて、聴聞候わば、自行化他のため、然るべきことにて候う。そのとおりを、あらまし、只今申し侍るべく候う。御耳をすまして御きき候え。 それ、安心と申すは、いかなるつみのふかき人も、もろもろの雑行をすてて、一心に弥陀如来をたのみ、今度の我等が後生たすけたまえともうすをこそ、安心を決定したる念仏の行者とは申すなり。この謂われをよく 紙面画像を印刷 前のページ p847 次のページ 第二版p1016・1017へ このページの先頭に戻る