巻次 - 848頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 決定してのうえの仏恩報謝のためといえることにては候うなれ。されば、聖人の『和讃』(正像末)にも、このこころを、「智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし」とおおせられたり。此の信心をよくよく決定候わでは、仏恩報尽ともうすことはあるまじきことにて候う。なにと御こころえ候うやらん。この分をよくよく御こころえ候いて、みなみな御かえり候わば、やがて、やどやどにても、信心のとおりをあいたがいに沙汰せられ候いて、信心決定候わば、今度の往生極楽は一定にてあるべきことにて候う。あなかしこ、あなかしこ。明応七年五月下旬3 そもそも、今月は既に前住上人の御正忌にてわたらせおわしますあいだ、未安心の人々は信心をよくよくとらせたまい候わば、すなわち今月前住の報謝ともなるべく候う。されば、この去んぬる夏比よりこの間にいたるまで、毎日に、形のごとく耳ぢかなる聖教のぬきがきなんどをえらびいだして、あらあらよみ申すようにそうろうといえども、来臨の道俗男女を凡そみおよび申し候うに、いつも体にて、更にそのいろもみえましまさずとおぼえ候う。所詮それをいかんと申し候うに、毎日の聖教になにたることを、とうときとも、また殊勝なるとも申され候う人々の、一人も御入り候わぬ時は、なにの諸篇もなきことにて候う。信心のとおりをもまたひとすじめを御ききわけ候いてこそ、連々の聴聞の一かどにても候わんずるに、うかうかと御入り候う体たらく、言語道断然るべからず覚え候う。たとえば、聖教をよみ候うと申すも、他力信心をとらしめんがためばかりのことにて候う間、初心のかたがたは、あいかまえて、今日のこの御影前を御たちいで候わば、やが 紙面画像を印刷 前のページ p848 次のページ 第二版p1017・1018へ このページの先頭に戻る