巻次 - 1016頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 える極楽よ」とおもうべし」(同)。又、「本願を信じ名号をとなうとも、余所なる仏の功徳とおもいて、名号に功をいれなば、などか往生をとげざらんなんどおもわんは、かなしかるべきことなり。ひしと、われらが往生成就せしすがたを、南無阿弥陀仏とはいいけるという信心おこりぬれば、仏体すなわちわれらが往生の行なるがゆえに、一声のところに往生を決定するなり」(同)。このこころは、安心をとりてのうえのことどもにて侍るなりと、こころえらるべきことなりとおもうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。明応七年五月下旬(二) 抑も、今日、御影前へ御まいり候う面々は、聖教をよみ候うを御聴聞のためにてぞ、御入り候うらん。されば、いずれの所にても聖教を聴聞せられ候うときも、その義理をききわけらるる分も、更に候わで、ただ人目計のように、みなみなあつまられ候うことは、なにの篇目もなきようにおぼえ候う。夫れ聖教をよみ候うことも、他力の信心をとらしめんがためにこそ、よみ候うことにて候うに、更にその謂われをききわけ候いて、わが信のあさきをもなおされ候わんことこそ、仏法の本意にてはあるべきに、毎日に聖教があるとては、しるもしらぬも、よられ候うことは、所詮もなきことにて候う。今日よりしては、あいかまえて、その謂われをききわけられ候いて、もとの信心のわろきことをも、人にたずねられ候いて、なおされ候わでは、かなうべからず候う。その分をよくよくこころえられ候いて、聴聞候わば、自行化他のため、然るべきこ 紙面画像を印刷 前のページ p1016 次のページ 初版p846・847へ このページの先頭に戻る