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り。一心のところをば、よく、ひとにもいえ」と、空善に御掟なり。
21一 同じき十二日に、堺殿へ御下向あり。
22一 七月二十日、御上洛にて、その日、仰せられ候う。「五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて ながく生死をすてはてて 自然の浄土にいたるなれ」(高僧和讃)。この次をも御法嘆ありて、「この二首の讃のこころをいいてきかせんとて、のぼりたり」と、仰せ候うなり。「さて「自然の浄土にいたるなり」・「ながく生死をへだてけり」、さてさて、あらあらおもしろやおもしろや」と、くれぐれ御掟ありけり。
23一 のたまわく、「「南无」の字は、聖人の御流義にかぎりて、あそばしけり。」南無阿弥陀仏を泥にてうつさせられて、御座敷にかけさせられて、仰せられけるは、「不可思議光仏・無碍光仏も、この南無阿弥陀仏をほめたまう徳号なり。しかれば、南無阿弥陀仏を本とすべし」と、おおせそうろうなり。
24一 「「十方無量の諸仏の 証誠護念のみことにて 自力の大菩提心の かなわぬほどはしりぬべし」(正像末和讃)。御讃のこころを聴聞もうしたき」と、順誓、もうしあげられけり。仰せに、「諸仏の、弥陀に帰せらるるを、能としたまえり。「世のなかに あまのこころを すてよかし 妻うしのつのは さもあらばあれ」と。これは、御開山の御うたなり。されば、かたちはいらぬこと、一心を本とすべしとなり。世にも、「こうべをそるといえども、こころをそらず」ということがある」と、おおせそうろうなり。
25一 「鳥部野を おもいやるこそ あわれなれ ゆかりのひとの あととおもえば」、これも、聖人の御うたなり。