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ただし、正定聚のかたは、御たすけありたるとよろこぶこころ、滅度のさとりのかたは、御たすけあろうずることのありがたさよともうすこころなり。いずれも仏になることをよろこぶこころ、よし」と仰せそうろうなり。
(19)一 明応五年正月二十三日に、富田殿より御上洛ありて、仰せに、「当年より、いよいよ、信心なきひとには御あいあるまじき」と、かたく仰せ候うなり。安心のとおり、いよいよ仰せきかせられて、また、誓願寺に能をさせられけり。二月十七日に、やがて富田へ御下向ありて、三月二十七日に、さかい殿より御上洛にて、二十八日に仰せられそうろう。「「自信教人信」(往生礼讃)のこころを仰せきかせられんがために、上り下り、苦労なれども、御出であるところは、信をとり、よろこぶよし、もうすほどに、うれしくて、またのぼりたり」とおおせそうらいき。
(20)一 四月九日に仰せられ候う。「安心をとりて、ものをいわば、よし。用ないところをば、いうまじきなり。一心のところをば、よく、ひとにもいえ」と、空善に御掟なり。
(21)一 同じき十二日に、堺殿へ御下向あり。
(22)一 七月二十日、御上洛にて、その日、仰せられ候う。「五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて ながく生死をすてはてて 自然の浄土にいたるなれ」(高僧和讃) この次をも御法嘆ありて、「この二首の讃のこころをいいてきかせんとて、のぼりたり」と仰せ候うなり。「さて「自然の浄土にいたるなり」、「ながく生死をへだてけり」、さてさて、あらあらおもしろやおもしろ