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夢想に、「阿弥陀の、今の人の袖をとらえたまうに、にげけれども、しかととらえて、はなしたまわず。」摂取と云うは、にぐる者をとらえておきたまうようなることと、ここにて思い付きけり。是を、引き言に仰せられ候う。
206一 前々住上人、御病中に、兼誉・兼縁、御前に伺候して、ある時、尋ね申され候う。「冥加と云う事は、何としたることにて候う」と申せば、仰せられ候う。「冥加に叶うと云うは、弥陀をたのむ事なる」よし、仰せられ候うと云々
207一 人に仏法の事を申してよろこばれば、われは、その悦ぶ人よりもなおとうとく思うべきなり。仏智をつたえ申すによりて、かように存ぜられ候う事と思いて、仏智の御方を有り難く存ぜらるべし、との儀に候う。
208一 『御文』をよみて人に聴聞させんとも、報謝と存ずべし。一句一言も、信の上より申せば、人の信用もあり、また、報謝ともなるなり。
209一 蓮如上人、仰せられ候う。「弥陀の光明は、たとえば、ぬれたる物をほすに、うえよりひて、下までひるごとくなる事なり。是は、日の力なり。決定の心おこるは、これすなわち、他力の御所作なり。罪障は、悉く、弥陀の御けしあることなる」よし、仰せられ候うと云々
210一 信治定の人は、誰によらず、まず、みれば、すなわち、とうとくなり候う。是、その人のとうときにあらず。仏智をえらるるがゆえなれば、いよいよ、仏智のありがたきほどを存ずべきことなりと云々
211一 蓮如上人、御病中の時、仰せられ候う。「御自身、何事も思し食しのこさるること、なし。思し召す