巻次
-
1067頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

(204)一 前々住上人、仰せられ候う。「一心決定のうえ、弥陀のおんたすけありたりというは、さとりのかたにて、わろし。たのむ所にてたすけたまい候う事は、歴然に候えども、御たすけあろうずと云いて、然るべき」の由、仰せられ候う云々 「一念帰命の時、不退の位に住す。これ不退の密益なり。これ涅槃分なる」由、仰せられ候うと云々
(205)一 有る人 瞻西上人のことなり、「摂取不捨のことわりをしりたき」と、雲居寺の阿弥陀に祈誓ありければ、夢想に、「阿弥陀の、今の人の袖をとらえたまうに、にげけれども、しかととらえて、はなしたまわず。」摂取と云うは、にぐる者をとらえておきたまうようなることと、ここにて思い付きけり。是れを、引き言に仰せられ候う。
(206)一 前々住上人、御病中に、兼誉・兼縁、御前に伺候して、ある時、尋ね申され候う。「冥加と云う事は、何としたることにて候う」と申せば、仰せられ候う。「冥加に叶うと云うは、弥陀をたのむ事なる」よし、仰せられ候うと云々
(207)一 人に仏法の事を申してよろこばれば、われは、その悦ぶ人よりもなおとうとく思うべきなり。仏智をつたえ申すによりて、かように存ぜられ候う事と思いて、仏智の御方を有り難く存ぜらるべしとの義に候う。
(208)一 『御文』をよみて人に聴聞させんとも、報謝と存ずべし。一句一言も、信の上より申せば、人の信用もあり、又、報謝ともなるなり。