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(201)一 前住上人(実如)、先年、大永三、蓮如上人二十五年の三月始め比、御夢御覧候う。御堂上壇南の方に、前々住上人(蓮如)、御座候いて、紫の御小袖をめされ候う。前住上人へ対しまいらせられ、仰せられ候う。「仏法は讃嘆・談合にきわまる。能く能く讃嘆すべき」由、仰せられ候う。「誠に、夢想とも云うべきことなり」と仰せられ候いき。然れば、その年、「ことに讃嘆を肝要」と仰せられ候う。それに付きて仰せられ候う。「仏法は、一人居て悦ぶ法なり。一人居てさえ、とうときに、二人よりあわば、いかほどありがたかるべき。仏法をば、ただ、より合い、より合い、談合申せ」の由、仰せられ候うなり。
(202)一 「心中を改め候わん」と申す人、何れをも「違い候う」と申され候う。万わろきことをうめて、かように申され候う。「いろをたて、きわを立てて、申し出でて、改むべき事なり」と云々 「なににせんずる、人のなおらるるをききて、われもなおるべきと思うて、わがとがを申しいださぬは、なおらぬぞ」と仰せられ候うと云々
(203)一 仏法談合のとき物を申さぬは、信のなきゆえなり。わが心にたくみ案じて申すべきように思えり。よそなる物をたずねいだすようなり。心にうれしきことは、その儘なるものなり。寒なれば寒、熱なれば熱と、そのまま心の通りをいうなり。仏法の座敷にて物を申さぬことは、不信の色なり。又、油断ということも、信のうえのことなるべし。細々同行により合い、讃嘆申さば、油断はあるまじきの由に候う。