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(198)一 善従、申され候うとて、前住上人(実如)、仰せられ候いし。「ある人、善の宿所へ行き候う処に、履をも脱ぎ候わぬに、仏法のこと、申しかけられ候う。又、或人、申され候うは、「履をさえぬがれ候わぬに、いそぎ、かようには、何とて仰せ候うぞ」と、人申しければ、善、申され候うは、「いずるいきは入るをまたぬ浮世なり。若し履をぬがれぬまに死去候わば、いかが候うべき」と申され候う。ただ、仏法の事をば、さしいそぎ申すべき」の由、仰せられ候う。
(199)一 前々住上人、善の事を仰せられ候いし。「未だ野村殿御坊、その沙汰もなきとき、神無森をとおり、国へ下向の時、輿よりおりられ候いて、野村殿の方をさして、「此のとおりにて、仏法がひらけ申すべし」と申され候いし。人々、「是れは、年よりて、かようのことを申され候う」など申しければ、終に御坊御建立にて、御繁昌候う。不思議のこと」と仰せられ候いき。又、「善は法然の化身なりと、世上に、人申しつる」と、同じく仰せられ候いき。かの往生は、八月二十五日にて候う。
(200)一 前々住上人、東山を御出で候いて、何方に御座候うとも、人、存ぜず候いしに、此の善、あなたこなた尋ね申されければ、有る所にて御目にかかられ候う。一段御迷惑の体にて候いつる間、前々住上人にも、さだめて、善、かなしまれ申すべきと思し召され候えば、善、ほかと御目にかかられ、「あらありがたや。早、仏法はひらけ申すべきよ」と申され候う。終に此の詞、符合候う。「善は不思議の人なり」と、蓮如上人、仰せられ候いし由、上人(実如)、仰せられ候いき。