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ぎ、かようには、何とて仰せ候うぞ」と、人、申しければ、善、申され候うは、「いずるいきは入るをまたぬ浮世なり。もし履をぬがれぬまに死去候わば、いかが候うべき」と、申され候う。ただ、仏法の事をば、さしいそぎ申すべき」の由、仰せられ候う。
199一 前々住上人、善の事を仰せられ候いし。「いまだ野村殿御坊、その沙汰もなきとき、神無森をとおり、国へ下向の時、輿よりおりられ候いて、野村殿の方をさして、「此のとおりにて、仏法がひらけ申すべし」と、申され候いし。人々、「是れは、年よりて、かようのことを申され候う」など、申しければ、終に御坊御建立にて、御繁昌候う。不思議のこと」と、仰せられ候いき。また、「善は法然の化身なりと、世上に、人、申しつる」と、同じく仰せられ候いき。かの往生は、八月二十五日にて候う。
200一 前々住上人、東山を御出で候いて、何方に御座候うとも、人、存ぜず候いしに、この善、あなたこなた尋ね申されければ、ある所にて御目にかかられ候う。一段御迷惑の体にて候いつるあいだ、前々住上人にも、さだめて、善、かなしまれ申すべきと、思し召され候えば、善、ほかと御目にかかられ、「あらありがたや。早、仏法はひらけ申すべきよ」と、申され候う。終に此の詞、符合候う。「善は不思議の人なり」と、蓮如上人、仰せられ候いし由、上人、仰せられ候いき。
201一 前住上人(実如)、先年、大永三、蓮如上人二十五年の三月始比、御夢御覧候う。御堂上壇南の方に、前々住上人、御座候いて、紫の御小袖をめされ候う。前住上人へ対しまいらせられ、仰せられ候う。「仏法は、讃嘆・談合にきわまる。能く能く讃嘆すべき」由、仰せられ候う。「誠に、夢想とも云うべきことなり」と、