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仰せられ候いき。しかれば、その年、「ことに讃嘆を肝要」と、仰せられ候う。それに付きて仰せられ候う。「仏法は、一人居て悦ぶ法なり。一人居てさえ、とうときに、二人よりあわば、いかほどありがたかるべき。仏法をば、ただ、より合い、より合い、談合申せ」の由、仰せられ候うなり。
202一 「心中を改め候わん」と申す人、何をも「違い候う」と、申され候う。万わろきことをうめて、か様に申され候う。「いろをたて、きわを立てて、申し出でて、改むべき事なり」と云々 「なににせんずる、人のなおらるるをききて、われもなおるべきと思うて、わがとがを申しいださぬは、なおらぬぞ」と、仰せられ候うと云々
203一 仏法談合のとき物を申さぬは、信のなきゆえなり。わが心にたくみ案じて申すべきように思えり。よそなる物をたずねいだすようなり。心にうれしきことは、その儘なるものなり。寒なれば寒、熱なれば熱と、そのまま心の通りをいうなり。仏法の座敷にて物を申さぬことは、不信の色なり。また、油断ということも、信のうえのことなるべし。細々同行により合い、讃嘆申さば、油断はあるまじきの由に候う。
204一 前々住上人、仰せられ候う。「一心決定のうえ、弥陀のおんたすけありたりというは、さとりのかたにて、わろし。たのむ所にてたすけたまい候う事は、歴然に候えども、御たすけあろうずと云いて、しかるべき」の由、仰せられ候う云々 「一念帰命の時、不退の位に住す。これ、不退の密益なり。これ、涅槃分なる」由、仰せられ候うと云々
205一 ある人 瞻西上人のことなり 「摂取不捨のことわりをしりたき」と、雲居寺の阿弥陀に祈誓ありければ、