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 この義まことにしかるべしというとも、疑網たちがたくして、みずから妄見をおこすなり。おおよそ、業ははかりのごとし、おもきものまずひく。もしわがみにそなえたらん悪趣の業、ちからつよくは、人界の生をうけずして、まず悪道におつべきなり。すでに人界の生をうけたるにてしりぬ、たとい悪趣の業をみにそなえたりとも、その業は人界の生をうけし五戒よりは、ちからよわしということを。もししからば、五戒をだにも、なおさえず、いわんや十念の功徳をや。五戒は有漏の業なり、念仏は無漏の功徳なり。五戒は仏の願のたすけなし、念仏は弥陀の本願のみちびくところなり。念仏の功徳はなおし十善にもすぐれ、すべて三界の一切の善根にもまされり。いわんや、五戒の少善をや。五戒をだにもさえざる悪業なり、往生のさわりとなることあるべからず。
 三 つぎにまた人のいわく、五逆の罪人、十念によりて往生すというは、宿善によるなり。われら宿善をそなえたらんことかたし。いかでか往生することをえんやと。
 これまた、痴闇にまどえるゆえに、いたずらにこのうたがいをなす。そのゆえは、宿善のあつきものは、今生にも善根を修し悪業をおそる。宿善すくなきものは、今生に悪業をこのみ善根をつくらず。宿業の善悪は、今生のありさまにてあきらかにしりぬべし。しかるに、善心なし。はかりしりぬ、宿善すくなしということを。われら、罪業おもしというとも、五逆をばつくらず。善根すくなしといえども、ふかく本願を信ぜり。逆者の十念すら宿善によるなり、いわんや、尽形の称念むしろ宿善によらざらんや。なにのゆえにか、逆者の十念をば宿善とおもい、われらが一生の称念をば宿善あさしとおもうべきや。小智は菩提のさまたげといえる、まこ