巻次
-
926頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

をも信ずることなけれども、やまいおもくなりぬれば、これを信じて、この治方をせばやまいいえなんといえば、まことにいえなんずるようにおもいて、くちににがきあじわいをもなめ、みにいたわしき療治をもくわう。もしこのまつりしたらば、いのちはのびなんといえば、たからをもおしまず、ちからをつくして、これをまつり、これをいのる。これすなわち、いのちをおしむこころふかきによりて、これをのべんといえば、ふかく信ずるこころあり。臨終の念仏、これになずらえてこころえつべし。いのち一刹那にせまりて存ぜんことあるべからずとおもうには、後生のくるしみたちまちにあらわれ、あるいは火車相現じ、あるいは鬼卒まなこにさいぎる。いかにしてか、このくるしみをまぬかれ、おそれをはなれんとおもうに、善知識のおしえによりて十念の往生をきくに、深重の信心たちまちにおこり、これをうたがうこころなきなり。これすなわち、くるしみをいとうこころふかく、たのしみをねがうこころ切なるがゆえに、極楽に往生すべしときくに、信心たちまちに発するなり。いのちのぶべしというをききて、医師・陰陽師を信ずるがごとし。もしこのこころならば、最後の刹那にいたらずとも、信心決定しなば、一称・一念の功徳、みな臨終の念仏にひとしかるべし。
 二 またつぎに、よの中の人のいわく、たとい弥陀の願力をたのみて極楽に往生せんとおもえども、先世の罪業しりがたし、いかでかたやすくうまるべきや。業障にしなじなあり。順後業というは、かならずその業をつくりたる生ならねども、後後生にも果報をひくなり。されば、今生に人界の生をうけたりというとも、悪道の業をみにそなえたらんことをしらず、かの業力つよくして悪趣の生をひかば、浄土にうまるること、かたからんかと。