巻次 - 1107頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 みにあやぶみあるときには、信心おのずからおこりやすきなり。まのあたり、よの人のならいをみるに、そのみおだしきときは、医師をも陰陽師をも信ずることなけれども、やまいおもくなりぬれば、これを信じて、「この治方をせば、やまいいえなん」といえば、まことにいえなんずるようにおもいて、くちににがきあじわいをもなめ、みにいたわしき療治をもくわう。「もしこのまつりしたらば、いのちはのびなん」といえば、たからをもおしまず、ちからをつくして、これをまつり、これをいのる。これすなわち、いのちをおしむこころふかきによりて、「これをのべん」といえば、ふかく信ずるこころあり。臨終の念仏、これになずらえてこころえつべし。いのち一刹那にせまりて存ぜんことあるべからずとおもうには、後生のくるしみ、たちまちにあらわれ、あるいは火車相現じ、あるいは鬼率まなこにさいぎる。いかにしてか、このくるしみをまぬかれ、おそれをはなれんとおもうに、善知識のおしえによりて十念の往生をきくに、深重の信心たちまちにおこり、これをうたがうこころなきなり。これすなわち、くるしみをいとうこころふかく、たのしみをねがうこころ切なるがゆえに、極楽に往生すべしときくに、信心たちまちに発するなり。いのちのぶべしというをきき 紙面画像を印刷 前のページ p1107 次のページ 初版p925・926へ このページの先頭に戻る