巻次 - 936頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 師こたえていわく、「余行をすてて念仏をするは、阿弥陀仏をたのむこころのひとすじなるゆえなり。これ至誠心なり。名号をとなうれば往生をねがうこころのおこるゆえなり。これ回向発願心なり。これらほどのこころえは、いかなるものも念仏して極楽に往生せんとおもうほどのひとは具したるゆえに、無智のものも念仏だにすれば三心具足して往生するなり。ただ詮ずるところは、煩悩具足の凡夫なれば、はじめてこころのあしともよしとも沙汰すべからず。ひとすじに弥陀をたのみたてまつりてうたがわず、往生を決定とねごうてもうす念仏は、すなわち三心具足の行者とするなり。「しらねどもとなうれば自然に具せらるる」と聖人のおおせごとありしは、このいわれのありけるゆえなり。」9 またあるひとのいわく、「名号をとなうるときに、念々ごとにこの三心を存してもうすべくそうろうやらん。」 師のいわく、「その義またあるべからず。ひとたびこころえつるのちには、ただ南無阿弥陀仏ととなうるばかりなり。三心すなわち称名のこえにあらわれぬるのちには、三心の義をこころのそこにもとむべからず。」後世物語聞書 紙面画像を印刷 前のページ p936 次のページ 第二版p1120へ このページの先頭に戻る