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一念多念分別事

隆寛律師作


 念仏の行につきて、一念多念のあらそい、このごろさかりにきこゆ。これはきわめたる大事なり。よくよくつつしむべし。一念をたてて多念をきらい、多念をたてて一念をそしる、ともに本願のむねにそむき、善導のおしえをわすれたり。多念はすなわち一念のつもりなり。そのゆえは、人のいのちは、日々にきょうやかぎりとおもい、時々にただいまやおわりとおもうべし。無常のさかいは、うまれてあだなるかりのすみかなれば、かぜのまえのともしびをみても、くさのうえのつゆによそえても、いきのとどまり、いのちのたえんことは、かしこきもおろかなるも、ひとりとしてのがるべきかたなし。このゆえに、ただいまにても、まなことじはつるものならば、弥陀の本願にすくわれて、極楽浄土へむかえられたてまつらんとおもいて、南無阿弥陀仏ととなうることは、一念無上の功徳をたのみ、一念広大の利益をあおぐゆえなり。しかるに、いのちのびゆくままには、この一念が二念・三念となりゆく。この一念、かようにかさなりつもれば、一時にもなり二時にもなり、一日にも二日にも一月にもなり、一年にも二年にもなり、十年二十年にも八十年にもなりゆくことにてあれば、いかにしてきょうまでいきたるやらん、ただいまやこのよのおわりにてもあらんとおもうべきことわりが、一定したるみのありさまなるによりて、善導は、「恒願一切臨終時 勝縁勝境悉現前」(礼讃)