巻次 - 1121頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 一念多念分別事隆寛律師作 念仏の行につきて、一念多念のあらそい、このごろさかりにきこゆ。これはきわめたる大事なり。よくよくつつしむべし。一念をたてて多念をきらい、多念をたてて一念をそしる、ともに本願のむねにそむき、善導のおしえをわすれたり。 多念はすなわち一念のつもりなり。そのゆえは、人のいのちは、日日にきょうやかぎりとおもい、時時にただいまやおわりとおもうべし。無常のさかいは、うまれてあだなるかりのすみかなれば、かぜのまえのともしびをみても、くさのうえのつゆによそえても、いきのとどまり、いのちのたえんことは、かしこきもおろかなるも、一人としてのがるべきかたなし。このゆえに、ただいまにても、まなことじはつるものならば、弥陀の本願にすくわれて、極楽浄土へむかえられたてまつらんとおもいて、南無阿弥陀仏ととなうることは、一念無上の功徳をたのみ、一念広大の利益をあおぐゆえなり。しかるに、いのちのびゆくままには、この一念が二念・三念となりゆく。この一念、かようにかさなりつもれば、一時にもなり二時にもなり、一日にも二日にも一月にもなり、一年にも二年にもなり、十年二十年にも八十年にもなりゆくことにてあれば、いかにしてきょうまでいきた 紙面画像を印刷 前のページ p1121 次のページ 初版p937へ このページの先頭に戻る