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とねがわしめて、念々にわすれず、念々におこたらず、まさしく往生せんずるときまで念仏すべきよしを、ねんごろにすすめさせたまいたるなり。
 すでに、一念をはなれたる多念もなく、多念をはなれたる一念もなきものを、ひとえに多念にてあるべしとさだむるものならば、『無量寿経』の中に、あるいは、「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転」ととき、あるいは、「乃至一念 念於彼仏 亦得往生」とあかし、あるいは、「其有得聞 彼仏名号 歓喜踊躍 乃至一念 当知此人 為得大利 則是具足 無上功徳」と、たしかにおしえさせたまいたり。善導和尚も『経』のこころによりて、「歓喜至一念 皆当得生彼」(礼讃)とも、「十声一声一念等 定得往生」(礼讃意)とも、さだめさせたまいたるを、もちいざらんにすぎたる浄土の教のあたやはそうろうべき。かくいえばとて、ひとえに一念往生をたてて、多念をひがごとというものならば、本願の文の「乃至十念」を、もちいず、『阿弥陀経』の「一日乃至七日」の称名は、そぞろごとになしはてんずるか。これらの経によりて、善導和尚も、あるいは、「一心専念弥陀名号 行住座臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願故」(散善義)とさだめおき、あるいは、「誓畢此生無有退転 唯以浄土為期」(散善義)とおしえて、無間長時に修すべしと、すすめたまいたるをば、しかしながらひがごとになしはてんずるか。浄土門にいりて、善導のねんごろのおしえを、やぶりもそむきもせんずるは、異学別解の人にはまさりたるあたにて、ながく三塗のすもりとして、うかぶよもあるべからず。こころうきことなり。これによりて、あるいは、「上尽一形 下至十念 三念五念 仏来迎 直為弥陀弘誓重 致使凡夫念即生」(法事讃)