巻次
第五帖
1003頁
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(六) 一念に弥陀をたのみたてまつる行者には、無上大利の功徳をあたえたまうこころを、『和讃』(正像末和讃)に聖人のいわく、「五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり」 この和讃の心は、「五濁悪世の衆生」というは、一切我等、女人・悪人の事なり。されば、かかるあさましき一生造悪の凡夫なれども、弥陀如来を一心一向にたのみまいらせて、後生たすけ給えともうさんものをば、かならずすくいましますべきこと、さらに疑うべからず。かように弥陀をたのみもうすものには、不可称・不可説・不可思議の大功徳をあたえましますなり。「不可称・不可説・不可思議の功徳」ということは、かずかぎりもなき大功徳のことなり。この大功徳を、一念に弥陀をたのみもうす我等衆生に回向しましますゆえに、過去・未来・現在の三世の業障、一時につみきえて、正定聚のくらい、また等正覚のくらいなんどにさだまるものなり。このこころを、また『和讃』(正像末和讃)にいわく、「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益ゆえ 等正覚にいたるなり」といえり。「摂取不捨」というは、これも、一念に弥陀をたのみたてまつる衆生を、光明のなかにおさめとりて、信ずるこころだにもかわらねば、すてたまわずというこころなり。このほかにいろいろの法門どもありといえども、ただ一念に弥陀をたのむ衆生は、みなことごとく報土に往生すべきこと、ゆめゆめうたがうこころあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(七) 夫れ、女人の身は、五障三従とて、おとこにまさりてかかるふかきつみのあるなり。このゆ