巻次 - 1093頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 唯信鈔安居院法印聖覚作 夫れ生死をはなれ、仏道をならんとおもわんに、ふたつのみちあるべし。ひとつには聖道門、ふたつには浄土門なり。 聖道門というは、この娑婆世界にありて、行をたて功をつみて今生に証をとらんとはげむなり。いわゆる、真言をおこなうともがらは、即身に大覚のくらいにのぼらんとおもい、法華をつとむるたぐいは、今生に六根の証をえんとねがうなり。まことに教の本意、しるべけれども、末法にいたり濁世におよびぬれば、現身にさとりをうること、億億の人の中に一人もありがたし。これによりて、いまのよにこの門をつとむる人は、即身の証においては、みずから退屈のこころをおこして、あるいは、はるかに慈尊の下生を期して、五十六億七千万歳のあかつきのそらをのぞみ、 紙面画像を印刷 前のページ p1093 次のページ 初版p916へ このページの先頭に戻る