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あるいは、とおく後仏の出世をまちて、多生曠劫、流転生死のよるのくもにまどえり。あるいは、わずかに霊山・補陀落の霊地をねがい、あるいは、ふたたび天上・人間の小報をのぞむ。結縁まことにとうとむべけれども、速証すでにむなしきににたり。ねがうところ、なおこれ三界のうち、のぞむところ、また輪回の報なり。なにのゆえか、そこばくの行業慧解をめぐらして、この小報をのぞまんや。まことにこれ大聖をさること、とおきにより、理ふかく、さとりすくなきがいたすところか。
 ふたつに浄土門というは、今生の行業を回向して、順次生に浄土にうまれて、浄土にして菩薩の行を具足して、仏にならんと願ずるなり。この門は末代の機にかなえり。まことにたくみなりとす。ただし、この門に、またふたつのすじ、わかれたり。ひとつには諸行往生、ふたつには念仏往生なり。
 諸行往生というは、あるいは父母に孝養し、あるいは師長に奉事し、あるいは五戒・八戒をたもち、あるいは布施・忍辱を行じ、乃至三密・一乗の行をめぐらして、浄土に往生せんとねがうなり。これみな往生をとげざるにあらず。一切の行は、みなこれ浄土の行なるがゆえに。ただこれは、みずからの行をはげみて往生をねがうがゆえに、自力の往生となづく。行業、もしおろそかならば、往生とげがたし。かの阿弥陀仏の本願にあらず。摂取の光明のてらさざるところなり。