巻次
-
1110頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

 まず、専修念仏というて、もろもろの大乗の修行をすてて、つぎに、一念の義をたてて、みずから念仏の行をやめつ。まことにこれ、魔界たよりをえて、末世の衆生をたぶろかすなり。この説ともに得失あり。「往生の業、一念にたれり」というは、その理、まことにしかるべしというとも、「遍数をかさぬるは不信なり」という、すこぶるそのことばすぎたりとす。一念をすくなしとおもいて、遍数をかさねずは往生しがたしとおもわば、まことに不信なりというべし。往生の業は一念にたれりといえども、いたずらにあかし、いたずらにくらすに、いよいよ功をかさねんこと、要にあらずやとおもうて、これをとなえば、ひめもすにとなえ、よもすがらとなうとも、いよいよ功徳をそえ、ますます業因決定すべし。「善導和尚は、ちからのつきざるほどはつねに称念す」といえり。これを不信の人とやはせん。ひとえにこれをあざけるも、またしかるべからず。一念といえるは、すでに経の文なり。これを信ぜずは、仏語を信ぜざるなり。このゆえに、一念決定しぬと信じて、しかも一生おこたりなくもうすべきなり。これ正義とすべし。
 念仏の要義おおしといえども、略してのぶることかくのごとし。これをみん人、さだめてあざけりをなさんか。しかれども、信謗ともに因として、みな、まさに浄土にうまるべし。今生ゆめのうちのちぎりをしるべとして、来世さとりのまえの縁をむすばんとなり。われおくれば人にみちびかれ、われさきだたば人をみちびかん。生々に善友となりて、たがいに仏道を修せしめ、世々に知識として、ともに迷執をたたん。