巻次 - 1109頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 われら宿善をそなえたらんことかたし。いかでか往生することをえんや」と。 これまた、痴闇にまどえるゆえに、いたずらにこのうたがいをなす。そのゆえは、宿善のあつきものは、今生にも善根を修し悪業をおそる。宿善すくなきものは、今生に悪業をこのみ善根をつくらず。宿業の善悪は、今生のありさまにて、あきらかにしりぬべし。しかるに善心なし。はかりしりぬ、宿善すくなしということを。われら、罪業おもしというとも、五逆をばつくらず。善根すくなしといえども、ふかく本願を信ぜり。逆者の十念すら宿善によるなり。いわんや尽形の称念、むしろ宿善によらざらんや。なにのゆえにか、逆者の十念をば宿善とおもい、われらが一生の称念をば宿善あさしとおもうべきや。小智は菩提のさまたげといえる、まことにこのたぐいか。 四 つぎに、念仏を信ずる人のいわく、「往生浄土のみちは、信心をさきとす。信心決定しぬるには、あながちに称念を要とせず。『経』(大経)にすでに「乃至一念」ととけり。このゆえに、一念にてたれりとす。遍数をかさねんとするは、かえりて仏の願を信ぜざるなり。念仏を信ぜざる人とて、おおきにあざけり、ふかくそしる」と。 紙面画像を印刷 前のページ p1109 次のページ 初版p927・928へ このページの先頭に戻る