巻次 - 1125頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 自力他力事長楽寺隆寛律師作 念仏の行につきて自力・他力ということあり。これは極楽をねがいて弥陀の名号をとなうる人の中に、自力のこころにて念仏する人あり。 まず自力のこころというは、身にもわろきことをばせじ、口にもわろきことをばいわじ、心にもひがごとをばおもわじと、かようにつつしみて念仏するものは、この念仏のちからにて、よろずのつみをのぞきうしないて、極楽へかならずまいるぞと、おもいたる人をば、自力の行というなり。かようにわが身をつつしみととのえて、よからんとおもうはめでたけれども、まず世の人をみるに、いかにもいかにも、おもうさまにつつしみえんことは、きわめてありがたきことなり。そのうえに、弥陀の本願をつやつやとしらざるとがのあるなり。されば、いみじくしえて往生する人も、まさしき本願の極楽にはまいらず、わずかにそのほとりへまいりて、そのところにて本願にそむきたるつみをつぐのいてのちに、まさしき極楽には生ずるなり。これを自力の念仏とはもうすなり。 他力の念仏とは、わが身のおろかにわろきにつけても、かかる身にてたやすくこの娑婆世界をいかがはなるべき、つみは日々にそえてかさなり、妄念はつねにおこりてとどまらず、かかるにつけ 紙面画像を印刷 前のページ p1125 次のページ 初版p940へ このページの先頭に戻る