巻次
真仏土
364頁
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 又云わく(論註)、「「正道の大慈悲は、出世の善根より生ず」(論)とのたまえり。此の二句は、「荘厳性功徳成就」と名づく。乃至 「性」は是れ本の義なり。言うこころは、此れ浄土は法性に随順して法本に乖かず。事、『華厳経』の宝王如来の性起の義に同じ。又、言うこころは、積習して性を成ず。法蔵菩薩を指す。諸の波羅蜜を集めて、積習して成ぜる所なり。亦「性」と言うは、是れ聖種性なり。序めに法蔵菩薩、世自在王仏の所にして無生忍を悟る。爾の時の位を「聖種性」と名づく。是の性の中に於いて四十八大願を発して、此の土を修起したまえり。即ち「安楽浄土」と曰う。是れ、彼の因の所得なり。果の中に因を説く。故に名づけて「性」とす。又「性」と言うは、是れ必然の義なり、不改の義なり。海の性一味にして、衆流入る者、必ず一味と為りて、海の味、彼に随いて改まらざるが如しとなり。又、人身の性不浄なるが故に、種種の妙好色・香・美味、身に入りぬれば、皆不浄と為るが如し。安楽浄土は、諸の往生の者、不浄の色無し、不浄の心無し。畢竟じて、皆、清浄平等無為法身を得しむ。安楽国土清浄の性成就したまえるを以ての故なり。
 「正道の大道大慈悲は、出世の善根より生ず」(論)というは、平等の大道なり。平等の道を名づけて「正道」とする所以は、平等は是れ諸法の体相なり。諸法平等なるを以ての故に発心等し。発心等しきが故に道等し。道等しきが故に大慈悲等し。大慈悲は是れ仏道の正因なるが故に、「正道大慈悲」と言えり。慈悲に三縁有り。一には衆生縁、是れ小悲なり。二には法縁、是れ