巻次
真仏土
365頁
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中悲なり。三には無縁、是れ大悲なり。大悲は即ち是れ出世の善なり。安楽浄土は、此の大悲より生ぜるが故なればなり。故に此の大悲を謂いて、「浄土の根」とす。故に「出世善根生」と曰うなり」と。
 又云わく(論註)、「問うて曰わく、法蔵菩薩の本願力、及び龍樹菩薩の所讃を尋ぬるに、皆、彼の国に声聞衆多なるを以て奇とするに似たり。此れ何の義有るや。
 答えて曰わく、声聞は実際を以て証とす。計るに更に能く仏道の根芽を生ずべからず。而るを、仏、本願の不可思議の神力を以て、摂して彼に生ぜしむるに、必ず当に復た神力を以て、其れをして無上道心を生ぜしむべし。譬えば、鴆鳥、水に入れば、魚蜯、咸く死す。犀牛、之に触るれば、死する者、皆活えるが如し。此くの如き、生ずべからずして生ぜしむ。所以に奇とすべし。然るに五不思議の中に仏法最不可思議なり。仏、能く声聞をして復た無上道心を生ぜしめたまう。真に不可思議の至なり。」
 又云わく(論註)、「不可思議力は、総て彼の仏国土の十七種荘厳功徳力不可得思議なることを指すなり。諸経に説きて言わく、「五種の不可思議有り。一には衆生多少不可思議、二には業力不可思議、三には龍力不可思議、四には禅定力不可思議、五には仏法力不可思議なり。」此の中に