巻次
-
497頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
漢文
画像情報
画像情報
本文

の体とす。然るに、流転輪回の凡夫、曠劫多生の群生、清浄の回向心無し、亦真実の回向心無し。是れを以て、如来、因中に菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、乃至一念・一刹那も、回向を首として大悲心を成就することを得たまうに非ざること有ること無し。故に如来、清浄真実の欲生心を以て諸有の衆生に回向したまえり。

 本願成就の文、『経』(大経)に言わく、「至心回向したまえり。彼の国に願生すれば、即ち往生を得、不退転に住す」と。取要

 聖言、明らかに知りぬ。今、斯の心、是れ如来の大悲、諸有の衆生を招喚したまうの教勅なり。即ち大悲の欲生心を以て、是れを「回向」と名づく。三心、皆是れ大悲回向の心なる故に、清浄真実にして、疑蓋、雑わること無きが故に一心なり。

漢文

然流転輪回凡夫曠劫多生群生、無清浄回向心、亦無真実回向心。是以如来因中行菩薩行時、三業所修、乃至一念一刹那、無有非回向為首得成就大悲心。故如来以清浄真実欲生心回向諸有衆生。


聖言、明知。今斯心是如来大悲招喚諸有衆生之教勅。即以大悲之欲生心、是名回向。三心皆是大悲回向心故、清浄真実、疑蓋無雑故一心也。